薔薇と美
| 薔薇と美 薔薇は西洋で、古代(紀元前)から『美、愛、喜び、青春』の象徴とされてきました。 私達と同じようにバラの魅せられてきたの人々やバラの美しさを自己環境に取り入れていた歴史上の美女そんな人々を回顧してみましょう。
バラの誕生 ギリシャ神話 薔薇はギリシャ神話にその誕生の物語が残されてます。 愛と美の女神・アフロディーテが泡から生まれた時、バラも一緒に生まれた・・・ アフロディーテの息子エロスがオリンポス山頂での会議にでるため急いでいたとき、慌て者の エロスは、躓いて手に持っていた神の酒であるネクタルをこぼしてしまいました。そのときこぼれた神酒がバラになった・・・ 恋人アドニスの死の悲しみのあまり、アフロディーテが流した紅色の涙で白バラが赤く染まった・・・ 花の女神クローリスは、愛していたニンフが死んだとき、そのニンフを花の女王といわれるような花に変えてくださいとオリンポスの神々に頼みました。その願いによってニンフは、バラになった・・・ 入浴しているところを戦の男神マノスに覗き見され、その恥ずかしさで真っ赤に染まったアフロディーテの頬の色が赤い薔薇になった・・・ バビロニア 薔薇ダイエットクッキーのセールスレターにも記しましたが、バラが文献に最初に登場するのは、紀元前2000年頃のバビロニアの叙事詩『ギルガメシュ物語』であるといわれています。 その叙事詩のなかに[バラを求めれば永遠の命を得る]と記されています。しかし、ここでは花ではなく棘の方でした。 ※バラが聖書に登場するのは新約です。ゴルゴダの丘で張付けられたイエスに茨(野薔薇)でつくった冠を被せました。又、マルコは、棘のある鞭を蹴れば怪我をすると記しています。 古代ギリシャ 初期の頃、バラは芳香を楽しむために人々に愛用されたようです。時代が下る(現代に近ずく)につれ薔薇の花の美しさに人々の関心が移行して、薔薇園が作られたり鉢栽培が始まりました。 紀元前6世紀頃、ギリシアの女性詩人サッフォーは「バラが花の女王」と詠ってその美しさを称えています。その後では、アナクレオンの詩、ヘロトドス、プラトン、アリストテレス、プリニウスらの著作にも薔薇が登場いたします。 古代ペルシャ 薔薇は信仰の対象となっていたようです。特に薔薇の葉を飲むと、好きな人と絶対離れないと古代ペルシャ人は信じていたようです。 例えば、兵士が戦争に行く前や、旅人が永い旅に出る前に、必ず無事に戻ってくると信じて、妻や恋人、又は愛人と一緒に薔薇を飲料にして飲んでいたようです。 時代的にみて案外最後の晩餐のワインなどは、こうした歴史的経験則に基づいて記述されているのかもしれません。最後の晩餐のワインは薔薇ワインだったのでしょうか・・・ 古代ローマ 古代ローマ人は薔薇を大変好んだようです。 薔薇の花びらを食べる、飲む、嗅ぐ、又は見る。そうすることで『幸せ』になると古代ローマ人は信じていました。 これはカエサル・シーザーがクレオパトラに歓待されたのに、ブルータスらを含む元老院に殺害されたのに、シーザーの子供(オクタビオヌス)が初代ローマ皇帝になったからでしょう。
そうした講釈話から、ローマ市民に人間臭さと成功の証として「幸せ話=時代を超えた話=薔薇と成功」のように形を変えローマ市民に受け入れられたのでしょう。こうして、薔薇祭りは古代ローマ時代から始まりました。 薔薇を飲んだり、食べたりと、バラと共に楽しむ事は最高級のイベントであったようです。花びらをどっさり浮かべた薔薇酒、薔薇がお腹に詰められた鳥のロースト、デザートにも薔薇を使っていたようです。※ローマ帝国に関する資料の中に薔薇のお菓子のレシピが記されています。
このような関係から現在のアメリカなどでは、人が他界する時に多くの薔薇を供えるのかもしれません。すると薔薇は仏教国(日本や韓国)の菊と同じような感じがしますが、キリスト教の概念では、死は再生であり、復活ですので、宗教的な概念上では、むしろ薔薇が再生や復活のための副葬品であるのです。 古代エジプト クレオパトラほど薔薇をふんだんに自己に取り入れて利用した人だと世界中の人々が認知しています。世界の3大美女の筆頭角であるかの上が薔薇をふんだんに使ったために、薔薇は世界中の女性を虜にしています。彼女は女王ですから、当然、専属の調香師や召使いにいました。 その人々を使用して薔薇から抽出した香油や膏薬で彼女の体中をマッサージをさせて手入れをして精神の安定をはかっていたと言われています。臨床心理学的にその行為効果を解析してみると面白いことが分かります。 例えば薔薇から抽出した香油や膏薬以外の植物、例えばアロエなどで、クレオパトラと同じ事をしたとしたら、世界がどのように変わったのかは分かりませんが、基本的にその効果は同じだったと考えられます。 つまり、使用する植物は個々人の好みであり、重要なのはマッサージであったと言うことです。薔薇はクレオパトラ自身が好んで積極的に使用したのです。 また、王朝の財政援助を目的として、彼女がシーザー亡き後、元来彼の朋友であって、後代ローマの宿敵となったアントニウスをもてなすために、宴席にバラのエッセンシャルオイルをまき、寝室には5cmの厚さにバラの花びらを敷き詰め、自身はバラの香水を身にまとい、えもいわれぬ芳香でアントニウスを酔わせたと伝えられています。 シャネルの紳士用オードトワレにアントニウスと言うものがありますが、この話を逆手に命名された商品でしょう。男を気軽に乗り換えるクレオパトラの世渡りが良いのかどうかはわかりませんが、現在では、彼女ほど女の本性のままに生きた女性は、むしろ、動物でいう猫を連想させて可愛らしいものです。まあ、薔薇を好み、薔薇を使用する猫はいませんが・・・
中世イングランド
ルイ王朝時代のフランス 「太陽王」と呼ばれたルイ14世は「フェロモン王」とも呼ばれ、毎日ばら水を宮殿中に振りまいていたと伝えられます。 ルイ15世の愛人、ポンパドゥール夫人はバラの花を好み、ローズ・ド・ポンパドゥールという深いピンクの薔薇を絹に織り、バラを陶器や絵画に描かせています。現在でも洋画家のほとんどが薔薇の絵画を描くのはこのためです。 また婦人は香料も異常なほどに好み、バラの香油と花に莫大な金額を費やしました。
19世紀のヨーロッパ 薔薇を使った薔薇ダイエットが大流行しています。ナポレオンの皇后ジョセフィーヌも薔薇を愛し、世界中から300種類以上のバラを集めてマルメゾン館に薔薇園を作り、人工的な品種改良に支援しました。そのため彼女は「薔薇のパトロン」として称賛されています。
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